その日はあいにくの雨…。それも、5年ぶりのライブでもちろん現在の曲も
知らず、
心配半分、迷いに迷ったあげく会場ぎりぎりに箱に到着した。
未だかって、曲を知らずにライブにいったことなどないだけに不安もひとしおだった。
客足も遅く、開場時間になっても対バンのメンバーと客がたむろ していた。なおさら入りにくい気分…。
ソウル系バンド、ロックなダンディさんを心地よく苦笑いで過ごし。ドキドキ度は増すばかり…
何がドキドキって今の兄ヤンを見ることはちょっと根性が要りますわ(;・∀・)ヤメルってずっと思ってた。
いやー、だってどんな風になっているのか怖いじゃんよぉ。
てっきりトリだと思っていた私は、セッティングをぼーーっと見ていた。
「え!ラックだ次は結構うるさいバンドなんかナ」
「最近激しい系は聞いてないし、スピーカーの前だしどうしよう(汗)」
と心の中でつぶやいていると、プロレス入場で兄ヤンがステージに…。
「えーーーー!ということはキムキムだったのか??」( ゚Д゚)ヒョエー 髭とカッコウでキズカナンダ!
曲を予習していないからこそ、音も声もストレートに入ってきた。(それこそ曲名しりませんので)
そりゃー。「おーーーーやってるやん!キアイジャン!」ってのが感想。
光の中でずしんとクル音と、パワーにしばし呆然…。
生ライブから遠ざかっていただけにそのショックは大きくなり、はるか昔の音との一体感がよみがえってきた。
最近は冷静に見ることが多くて、ライブを楽しむことをすっかり忘れてしまっていたから特に空気に酔ってしまった。
なんていうのかなぁ、歌詞と音のシャワーを浴びる感じっていったほうがいいのかなぁ。
特に私は歌詞が直接心に聞こえてくるような感覚が、すこぶる好きなので、よけいに気持ちよかった。
歌い手の意図を裏打ちすることなく素で入ってくるからだ。
カッチリと無駄のない唄を前に出す演奏と曲構成にも感動ものだ…(あ★これは、帰りにCD聞きながら考えた事だけど)
でもさ、何を伝えたいのかってこういう時にこそクルんだよね…。
で、感じたままに書くと、
この数年の間に、迷いと葛藤と不安と回帰…。そんなものを思ってしまった。
でも、「やり続けるしかない」という上向きな気持ちを受け取った。
「こんなもんですわ、俺は」っていう所か( ̄ー ̄)ニヤリ
確かに、「真の都」を聞いた時に
「また、こんなこと言ってるよ(笑)」とか、
「誰に飛ばしてんだかぁ(笑)」苦笑したのも確かだけど。
華やかな時代を知るモノとして、楽しみながら、同時に今はまだどこか、あがいてる感はぬぐいきれず、
心を痛める部分も正直あった。 音楽を文字のまま【楽しむ】ことのみに向うという域でも無いし、何処を目指し、
何処へ行こうとしてるのか先が見えているわけでも無い。
しかし、続ける事への難しさを私なりに思うところがあり、少なくとも私は突き動かされた。
そして、ありえない事に、【ただどこまでも】を聞いた時に、私とした事が泣いてしまった。
今まで数十本兄ヤンの歌を耳にしても、感情移入的ナものでうるっとした事はあっても、
素で泣くことなど無かった。きっと声の発する力にやられたんだと思う。正確なところは不明だけど、
歌詞でとかそんな単純な部分ではなくもっと別の気がする。
アーティストの描いてくれるユメは、全てが本物とは思っていない。
でもその夜は自分自身も何のフィルターも介さずに感じる事が出来た夜だった。
「そこまでやるんだったら、とことんつき合わせていただきます。」
歌をより大事に歌うようになった気がしたのは私だけだろうか。 |